他の国は分からないが、韓国では難しい試験や過程を通過して就職した正規職は、非正規職より多くの賃金を受け取るべきだという考えがある。
それが正当化されるためには、正規職が非正規職にはできないより難しい仕事をしているか、より優れた成果を出している必要がある。しかし、そのような差はない。単に過程が違っただけで、難しい試験を通過したからそれを保証してほしいと言っているに過ぎない。
その論理で言えば、子どもの頃により勉強ができて努力した人は、どんな職業に就いても多くのお金をもらうべきということになる。または、科学者や学者がはるかに多く稼ぐべきだということになる。しかし現実は全くそうではない。彼らの主張は現実的ではない。
彼らはこう考えているのかもしれない。自分たちは犠牲を払ったのだから、政府や社会がそれを保証すべきだと。
しかし本当の犠牲とは、国家や国民、社会のために自らを犠牲にした独立運動家のような人々にこそふさわしい言葉である。
彼らは一体どんな犠牲を払ったのか。自分のために努力し苦労したことを、犠牲とは呼べない。
政府は必要な人材を選ぶために試験を行っただけである。競争率が高くなり、より多くの努力が必要になっただけだが、それは自分たちの選択である。政府は採用時に提示した賃金と任期を保証すればよい。それ以上の特権や優遇を求めるべきではない。
非正規職は非正規であるため、求められる基準や競争が低かった可能性がある。そのため、雇用は保証されなくても、同じ仕事をしているなら賃金は同じであるべきだ。
この世界は努力に比例して報われるようにはできていない。そのような世界はどこにも存在しない。韓国社会でさえ現実はそうではないのに、なぜ一部の人たちだけが自分たちの努力の見返りを求めるのか。それは非常に深刻な利己主義であり、特権意識である。それが韓国では現実として認められているように見えることもある。
